Part 3 Sanfrancisco Bay Blue !

fulmas2008-07-10

サンフランシスコの歌は多い!子供の頃聴いた昭和歌謡「サンフランシスコのチャイナタウン〜」、ブレンダ・リーの「想い出のサンフランシスコ」、正に青春時代はキングストン・トリオの「サンフランシスコ湾ブルース」(クラプトンも良いけどやっぱフィービ・スノウでしょ!)、トニー・J.ホワイトの「ソウル・サンフランシスコ」、エリッ・バードンの「サンフランシスコの夜」等が心に残る!
1983年のサンフランシスコは残念ながらケーブルカーは修理中で走っていなかった!驚いたのはバークリー(U・Cバークリーに行った)等を中心に走る地下鉄の「バート」という乗り物だ。というより日本では今では当たり前のコンピュータ制御の自動改札が「バート」では1970年代後半に既にあったのだ!
ロマンティックだったのはやはりサンフランシスコ湾のベイクルーズだ!フィッシャーマンズ・ワーフで海老、蟹、牡蠣をたらふく食べて缶ビール片手に遊覧船に乗り込む!岸辺ではオットセイがお見送り!気持ち良い湾風、金門橋(タワー・オヴ・パワーを想い出す!)、カポネが収容されていた「アルカトラス島」(映画にもなった)等眺めも最高だ!
降りてからは「クレイジー・シャツ」でTシャツ買って、コロンバス通りを通ってチャイナタウンまで歩く、かなり広いチャイナタウン(飯はまずかった!)イタリアン・タウンと隣り合わせでいかがわしいクラブがあってそこには入らず2階のモーテルに一泊!なんて想い出は尽きない!!
1971年「DONOVAN」開店当初髭の2枚目吉成君が常連だった。彼はヒッピー文化華やかりし60年代後半羨ましい事にシスコに留学していてあのハイトアシュベリーやフィルモア・ウエストに出入りしていてシスコのサイケ系ロックは大得意!後にミュージック・ライフの新興出版社に勤務、福田一郎門下生から独立し音楽評論家に、70年代はJ・Jケイルやミーターズのライナー等もちろんシスコのボズやベン・シドラン等ファンキー系が多かったかな?彼の紹介で小倉エージ先達と知りあった!
フュー・イヤーズ・アゴー?!常連のアキラ君がシスコに赴任中誘われたが子供にかまけて行かず、今でも後悔している。いつかまた行ってみたいサンフランシスコ・ブルー・ワールド!!