悲しき60歳

fulmas2009-10-20

先週土曜日「トノヴァン」(サエキ・ケンゾウがラヴィン・スプーンフルのライナーにフルハウスと彼の事を書いている)の愛称で知られる(?)加藤氏が自殺して亡くなった。まだ62歳だった。。去年あたりから自分の周りで自殺やら病気やらでアラカンが亡くなっていて気になる!
「加藤氏は優しさの反面厳しさもあってその厳しさが自分に向けられた」と今日の葬儀で最後の挨拶をした北山修氏が語ったそうだ。死ぬ寸前に入院中のはしだのりひこに30年振りに電話をかけたそうだ、フォーク・クルセイダーズはいきなりラジオで「オラハシンジマッタダァ〜・・」聴かされビックリしたものだったが、ニューロック、アート・ロック、サイケに嵌っていて、所謂和製フォークはあまり興味が無かったので「あの素晴しい・・・」とかは聴いていなかった。加藤氏1969年のソロアルバムはエリック・アンダーソンの「Come To My Bed Side」から始まるチャーミングなフォークアルバムだがライナーが面白くてタイトルを「地雷也」にして欲しかったとか、2枚組みにして欲しかったとかわがままを言ってレコード会社を困らせている様子が笑えた!
ミカバンドもちゃんと聴いていなかったが、マッスル・ショールズまで出掛けて行って作ったアルバムとか「パパ・ヘミングウェイ」とかのソロアルバムは良く聴いた。
NHKの「男の料理」で小倉エージ(仲良し?)とパスタ料理をやった時「エージはイタリヤ行った事無いの?」なんてからかったりして面白かった!良くカズミさんと家で料理をして友人を招いていたらしい?
兎に角センスが良くていつも最先端を行っていた、(昔ロンドンブームの頃真似してソニプラでケントの歯ブラシ買ったりした)FMのDJも選曲が素晴しく話も上手非の打ち所が無い人だった、「一寸眩しい人だったなァ」と思う!
最近はCDが売れない、良い音楽を解る人が居ない、と嘆いていたそうで、それに良い曲が作れないと悩み「パッチギ ?」のサントラも断っていたそうだ。ウツだったみたいで周りの何人かには伝えていた様だ!
良質な物を知っている数少ない日本人という感じだったが、自分でも時々感じる何かが変わってしまった今の時代の価値観、考え方、一方で若者達が例えば70年代音楽を見直す動きもあったりで、もう少し長生きしてもう一花咲かせて欲しかった、兎に角今は安らかに眠って下さいとしか言い様がない!