SWAMP BLUE!

fulmas2008-07-19

スワンプ・ロックはL.Aスワンプのレオン・ラッセルを初めデラニー&ボニー、ジョー・コッカー、そしてその取り巻き達が70年代初期に大暴れした(影にはクラプトンもいた)。元々米南部のデルタ・ブルースを白人の若者がカントリー・ミュージックやR&B等を取り入れながら創り上げたものだが、やはり先駆者であるエルヴィスのお陰もある。
レコードのライナー・ノーツで初めてスワンプという言葉を目にしてから(小倉エージのが多かった)渋谷の「ブラックホーク」(エージ氏がレコードを貸していたと聞く)で更に勉強した。DJの松平氏が独特の美学を持ってコレクションに務めていた。ザ・バンドを初めC.カーニー等クールなカナディアンスワンプ!(英国にもブレンズリー・シュワルツを初めとしたザ・バンドの影響を受けたグループが多数いた)ホットなL・Aスワンプ、南部ではカントリーのメッカであるナッシュビルやテキサスにもスワンプな連中がいたし、メンフィスには当然エルヴィスの影響を受けたダン・ペンを初めとした連中もいた。メンフィスのスタジオでMG’sのバックを従えてのレコーディングは皆の憧れだ。(キヨシローまで出かけていった!)アラバマのマッスル・ショールズスタジオやエルビスでおなじみのR.ヤング等のいたアメリカン・スタジオやナッシュビルのエリアコード615のスタジオメンの名前がクレジットされたレコードを買いあさったものだ。更に南部のニューオリンズではドクター・ジョンやアレン・トゥーサンが独特のアレンジでロックに新風を吹き込んだ。
60年代のC.C.Rはロスのグループではあるが南部の雰囲気プンプンで正にスワンプだったがリーダーのJ.フォガティーは南部へいった事がなく解散後大分経った2004年ディープ・サウスへ旅立ち「ブルームーン・スワンプ」を引っさげて再登場、脚光を浴びまたまたグラミー賞を獲得したのだった!
ディープ・サウスにブルーは良く似合うのだ。