今更ながらの「ピンク・フロイド」

fulmas2012-09-07


店を始めた1971年前後に通っていたデザイン・スクール時代に定期購読していた「美術手帳」、
編集長の宮澤氏の意向か?やたらロックの話題が、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのウォホールの手による
バナナのジャケットも衝撃だったが、ピンク・フロイドの牛ジャケは何とも言えず感動した!
以来植草甚一氏じゃないが「ジャケット良ければ中身良し」の風潮が広まった!
牛ジャケ「原子心母」はピンク・フロイドが1970年発表、世界的に大ヒットしプログレの道を切り開いた、
いきなりのバイク音、効果音、オーケストレーション、他のバンドには無い独特の浮遊感、倦怠感を持つ
幻想的なサウンド、光と空間を感じるロックの新時代の幕開けに興奮した!
1967年ピンク・フロイドの1stアルバム「夜明けの口笛吹き」レコーディング中に隣のスタジオで
「サージャント・ペパーズ・・・」をレコーディング中のポールが覗きに来て「ノックアウトされた!」というエピソードが
ある、
両バンド共この時代のサンフランシスコを中心とした「サイケデリック・ロック」の影響を受けている事は間違いない、
何ものにも束縛されない心と体の自由!「気持ち良ければすべて良し」(ちょっと違うか?)
正に自由なアートで溢れた時代、ピンク・フロイドはそんな中で誕生したのだ、初期のボブ・クルースの
ブルージーな時代、
シド・バレットのサイケで狂気な時代から更に進化してギルモアとウォータースの時代に、
店を始めた1971年には「おせっかい」が出て、店には大音量で風と嵐が吹き捲った!
クリムゾンやELP等の所謂プログレ
昼間は特にハード・ロックのパープルやGFR等と共に幅を利かせていたいた、昼はナオシの担当だった、
学校から帰った俺は涼しい顔してキャロル・キングやジェイムス・テーラーその他シンガー&ソングライター、
フォーク、カントリー、スワンプな曲をかけまくった!だからピンク・フロイドは大好きだった!
自分にとっては彼らの優しく歌う時の声とサウンドが、正にフォークソングの様に聞こえるし、おまけにいつも草の香りがする、
あっちの葉っぱの香りじゃないよ(笑)
その後プログレをすっかり忘れてしまってアメリカン・ルーツミュージックに行ってしまった俺は、
73年の「狂気」(千葉に初めて24時間営業のスーパーが出来た時「マネー」が流れていて笑えた)、
75年の「炎」(ツェッペリンⅢでペイジが「ロイ・ハーパーに捧ぐ」を披露した頃デビューした、
そのロイはいまだ現役であるが、このアルバムに参加していたのだ)77年の「アニマルズ」のコンセプトアルバム
ちなみにツェッペリンは1st及び2ndはブルース色が濃いが3rdからフォーク色を出していて4thでは
サンディ・デニーを参加させている、またロイもドノヴァンやバート・ヤンシュ等とは違う独特のフォーク感がある、
三部作で再び目覚めた!やっぱ良いよねピンク・フロイドまた聴いてます!
ピンク・フロイドの他10CCやフィッシュ等のレコードジャケットを手掛けたデザインチーム「ヒプノシス」の
リーダーのストームはウォーターズとバレットの高校時代からの仲間である。
以前に書いたロジャー・ウォータースの興行成績塗り替えの記録には驚いたが、Wikipediaによる「狂気」5000万枚、
ザ・ウォール」3000万枚、「炎」2300万枚、レコードCD総売り上げ2億3000万枚ってどんだけ?!
早い時間閑な時は最近ピンフロ(ピンクな風呂)に入ってます(笑)