ザ・バンド的バンド達

fulmas2011-03-22


被災から10日が過ぎてやっと大好物の納豆にありついた、やれやれ!
納豆のように粘りと味のあるバンドは、最後のアイドルとなったザ・バンドの醸し出すスワンプ・サウンドだ。特にリチャードの体の奥から絞り出す様な男の哀愁を感じるヴォーカル!(誰だコールタールの様だと言った奴は?)
ディランが1965年に「ライク・ア・ローリング・ストーン」というロック史上最高の曲を世に送り出し、フォーク・ロックに決別、66年にバイク事故(?)でウッドストックの森に籠もり、ロビー達ザ・バンドのメンバーとあのビッグ・ピンクの地下で「ベースメント・テープス」(150曲あったらしい?)を作った。
それがブートで出回り、英国に火が点いた、フェアポート・コンベンションはいち早くサンディのヴォーカルで「パーシー・ソング」等を歌い、マクギネス・フリント(マンフレッド・マンの流れ)は「ロー&ビホールド」というタイトルで一枚アルバムを作ってしまうし、ザ・バンド・マニアが次々に現れた。
1971年ジョーコッカーのマッド・ドッグス&イングリッシュメンに絡んだグリース・バンドは正に南部志向のスワンプ・バンド、同じ年のアンドウェラはジャケットからしザ・バンド風、ミール・チケットやオイリー・ラグスはザ・バンドの名曲をカバー。
と言う訳で不思議と英国人はザ・バンド好き、あのクラプトンは常々「ザ・バンドのメンバーに成りたかった」と言ってますが、ザ・バンドはリヴォン以外はカナダ人、外の国からアメリカの南部はやはり憬れの地なのだ、ブルース・ジャズ・ソウル・ロックの発生の地なのですから。
アメリカにもブルー・ジャグとかザ・バンド風の一発屋はいましたが、そこはアメリカ、なんとか風は駄目です、オリジナル命です!
1970年代初期、渋谷道玄坂・百軒店の「ブラック・ホーク」で眼の色変えて松平DJの話を聞き、飾ってあるレコード・ジャケット、そして小冊子「スモール・タウン・トーク」でスワンプと英国トラッドをお勉強しましたね!!残念ながらレコードは盗難に遭うは、松平氏は若くしてお亡くなりに!そしてAORの時代にと!!!