ロック喫茶関東編

fulmas2007-09-08

最古のロック喫茶は知る限りでは新宿の「ソウル イート」かな、広い空間の真ん中に円形のステージみたいのがあって、自由に客が座っている。薄暗い照明の中ジミヘンやジャニスがフルヴォリュームでかかっている。ほとんどが少年少女、私服警官らしきものがたまに声をかけている様な危なげな店だった。1969年頃行ったが、いつ終わったか解らない?(その後サブマリンという店が厚生年金会館近くに出来た。)その頃吉祥寺ではジャズ喫茶「ファンキー」のオーナー野口氏が駅前に地上2階地下1階で「ビ・バップ」というロック喫茶をやっていて、商業建築の世界で話題になっていた。地下の空間には壁一面12個のスピーカーで大音響!CCRビートルズがかかっていた。野口氏はその後「赤毛とソバカス」という店も出す。民芸調の可愛い店だった。渋谷の道玄坂には「ブラック ホーク」があって最初はビートルズもジャズも時間を分けてかけていたが、次第にマニアックになっていった。(スワンプ〜トラッド)70年代半ばになると近くにアメリカン ロックハウス「BYG]や「ギャルソン」も出来て賑やかになる。駅の反対側明治通りの地下には「グランド ファーザーズ」と「明治通り」が並んでいた。「アナザー サイド」なんてのもあった。高円寺には「ムーヴィン」と「キーボード」が隣同士張り合っていて、私はアートや芝居のにおいのする「ムーヴィン」派だった。マスターの和田君はやめて「はちみつぱい」というバンドに参加、後に札幌で和田珈琲店を、現在オーディオ評論家である。で当時同い年の23歳だった私は千葉に店を出す決心をしたと言う訳だ。1971年はあの「ハードロック カフェ」が誕生した年でもある。中野には「ロック イン」というハード ロック専門店があって入り口を入ると壁に仁丹等のホーローびきの看板が飾ってあった。話をDONOVANに戻そう、店を開店して暫くすると京都からやって来たロン毛のカップル、キヨシ&ミホが通って来た、彼らはいかにもヒッピー風で千葉大のある西千葉にカウンターだけの小さな店「沙羅」(写真)を開店した。その後京都に戻り「地獄の季節」を開店。残された沙羅はいろんな奴がとっかえひっかえ暫く続いた。また京都からロン毛のサングラス男マックも通って来て、暫くすると市川に「ヘヴィー フライト」という多分フィルモア風か?店を出す。天井に曼荼羅風な絵が描いてあった?でナオシとマサオはついて行ってしまった。その後フライトの常連のヤマダ君があのライヴ ハウス「マザーズ」を立ち上げた。(何とエリオット マーフィーが来た!)ライヴハウス時代の幕開けだ。高円寺の「次郎吉」は少し前からあったが。