土気タウン!

fulmas2011-06-16

我生地「土気」は千葉市緑区市原市山武郡大網(千葉市に加入するまでは土気は山武郡だった)の境を持ち千葉市最南端に位置する、町は昭和の頃は大網街道のJR土気東口界隈が賑やかで(?)うのまる商店(後にスーパー)や各個人商店が軒を連ねていた、しかし西口の開発が進み東急が「あすみが丘」と銘うってニュータウンが完成、母が小学校(昭和一ケタの頃)の頃は「あの辺は狸が良く出た!」と言っていた場所は快適な街に変貌したのだ、お陰で東口商店街は全滅、数件の専門店が細々と生きながらえている。
母が子供の頃は花沢町長が白い馬にまたがり、生地「大野」に良く視察に来たらしいが、孫の三郎(花沢林産興業社主)はあすみが丘の駅前の土地買収にからみ県議まで登りつめた地位を汚し、市民税脱税で逮捕、数年前に亡くなった(亡くなった従兄と仲良しだった)、駅前東急も大通りのショッピングセンターも7月には東急の文字は消えるらしい(?)バブル期に話題になったあの「チバリーヒルズ」と呼ばれた「100ヒルズ」も今はひっそりとしていて存在感が無い、生前母を良く連れて行ったそば屋の近くに最近「ホキ美術館」が出来た、昨日妹の買い物に付き合いついでに写真だけ撮って来た、実家は駅から市原方面に向かい「外房有料道路」をまたいだ「みどりの森工業団地」内だが、ここもバブル期に造成され中途半端な存在だが、考え様によってはあまり汚染されずに、だからみどりの森工業団地か?(笑)終戦までは大堀さんという一人の大地主の土地だったが農地解放により親父達戦後開拓農民の手に渡り、田中角栄総理の時代に列島改造論から工業団地に再度変身、バブル崩壊で一部は福祉施設にと、生まれてから60年過ぎの間にはいろいろありました!
ドイツに次いでイタリアも脱原発、日本でも最近原発反対デモが盛んな様だが、そんな中ゴミ焼却の熱で発電とか、充電出来るテレビとか人の知恵は凄い!
我が家はエアコン3台各部屋に付いているが殆ど使った事が無く網戸と扇風機で夏を過ごす、最近面白い扇風機(多少高額だが)も出ていて売れているらしいが、この間テレビで節約の達人(節約してマンションを手に入れた?)が扇風機の手前にペットボトルを氷らせて皿に乗せ、溶けたらその水を飲むという1石2丁のアイデアを披露していた、水では無く麦茶の方が良いかも(笑)しかしこの夏はどうなる事やら出来れば冷夏であって欲しい!!
しかし相変わらず中国は目を離せない!南シナ海ベトナムと睨み合い、ベトナムでは32年振りの徴兵制が布かれたとの事、震災でいっぱいいっぱいの日本、内も外も緊張感は続く!!!