名盤作りの名人#5 アル クーパー

fulmas2007-11-20

高校時代に聴いたポップスの中にゲイリールイスとプレイボーイズの「恋のダイアモンドリング」という曲があった。アメリカでNo1ヒット、日本でもかなり売れた。アル クーパーはその曲の作者である。アルは1961年頃キャロル キングと同じ様にティンパン アレィのコンポーザーをしていた。ポップスに飽き足らなくなったアルはフォークに眼を向ける、ボブ ディランのあの「追憶のハイウェイ61」のレコーディングに参加するチャンスを得るがM.ブルームフィールドのギターの上手さに圧倒され帰ろうとするがオルガンで勝負!あの見事な心に残るフレーズを弾く!その後ブルース プロジェクトなるバンドを組む(喫茶店の片隅のジュークボックスで良く聴いた「泣かずにはいられない」がヒット!)ロックが大きく羽ばたき始める60年代後期アルはBS&T(J.サイモン プロデュース)、スーパーセッション(アル&マイク、スティルスフィルモアの奇蹟(アル、マイク、サンタナ等)と立て続けに名盤を発表し、アートロック、ニューロックと呼ばれた時代の寵児となる。ソロアルバムも1968年「アイ スタンド アローン」を皮切りに76年の「倒錯の世界」迄全て名盤の7枚を発表中でも「赤心の歌」は秀逸である。その間にストーンズ、ジミヘン、ザ・フーとセッションしたりハル アシュビーのサントラを手掛けたりと八面六臂の大活躍!しかもユダヤ人たる所以か?「サウンド オブ サウス」というレコード会社迄立ち上げてしまった。そこであのレーナード スキナードをプロデュース3枚の名盤を発表する。その後ジョン(死亡)以外のビートルズの面々とセッション。2001年に2枚組みベスト&モアアルバム「レア&ウエルダン」を発表、ロック生誕50周年の2005年に30年振りとなる「ブラック コーヒー」を発表健在振りをアピールした。2001年あたりから何度か来日もしている。ポップスからジャズだけに逃げようとした私にロックの深さ、ブルースやソウルの熱さを教えてくれたアルに感謝!!これからも頑張って欲しい!!!