名盤作りの名人 JOHN SIMON

fulmas2007-08-18

名盤作りの名人は、例えばトム ダウド(いとしのレイラ)やマイケル カスクナ(現ブルーノート社長?)の様に自分では歌ったり演奏はしないプロデュース専門職のタイプとヴァン ダイク パークス(R.クーダー、B.ウイルソン)やダニエル ラノワ(U2、B.ディラン等)の様に自分自身がパフォーマーであるタイプがある。大好きなジョン サイモンは後者のタイプで、ジャズとロックにまたがって60〜90年代活躍した。医者の息子として生まれたジョンは多分クラシックの素養もあるし、若い頃はジャズやポピュラーミュージック特にロックンロールを充分に吸収して、既に天才的音楽センスを持ち合わせていたのだろう。 アメリカ最大手のレコード製作会社コロムビアに入社後、オペラやサントラ等を手掛けた後サークルの「レッド ラバーボウル」のヒットで有名になり、サイモンとガーファンクル、ジャニス ジョップリン(テキサスのじゃじゃ馬とのレコーディング風景は映像に残っているがその「チープ スリル」では「タートル ブルース」で抜群のブルースピアノを披露している。)、アル クーパーのBS&T等名盤のプロデュースで本格的に実力を発揮、その後フリーとなりあのザ・バンドの「ミュージック フロム ビッグ ピンクから「ステージ フライト」迄初期のザ・バンドの名盤を手掛ける。いわば6人目のザ・バンドだ!その後もS.ファーヤー、シールズ&クロフツ、G.ジェフリーズ、D.サンボーン、M.フランクス、AJ.クロウチ(ジム クロウチの息子)等ジャズからロック迄数多くの名盤制作に携わる。(初期のブレッカー兄弟やサンボーンとの関わりが深い)傍ら自身でもあの入手困難だった「ジョン サイモンズアルバム」や「ジャーニー」を1970年頃発表。名盤と騒がれみんな血眼で探したものだった。それから20年を経て92年発表した3枚目のアルバム「アウト オン ザ ストリート」は彼の最高傑作と言って良いだろう。  彼は言う「ロックン ロールは開かれた傷口」「ジャズは飛翔への憧れ」と!ジャズとロックをこよなく愛する私の目からは涙がこぼれて止まらない!! その後も自身の作品」を何枚か出しているが、いずれもテーマは家族愛、人間愛それに自然に対する愛しみである。これからも活躍して欲しいし、ピアノを弾きながら歌う姿をまた観たい!!