デラニー&ボニー&フレンズ #2

fulmas2011-02-16

単なるポップスのR&Rが音楽以外のアートや社会問題を含みながら音楽的にも大きく成長した60年代後期、アルクーパーのロック・リヴォリューション、ディランのウッド・ストックの隠遁とザ・バンドの地下室セッション、クラプトンのクリーム、末期のビートルズ、シスコのサイケデリック・シーン(フィルモア・ライヴの日々)、ブルースにアドリブを加えた英米のロック・キッズ達の台頭と目まぐるしいめくるめく時代(この時ハタチ何て幸せ!)を経て1970年はまたビートルズの解散とそれぞれのスタート、ビル・グラハムのフィルモア閉鎖からストーンズ・ツアーを始めとしたロックのビッグ・ビジネスの時代へと突き進んだ!1970年がどれだけ凄い年だったかはロッカー達の名盤を見れば一目瞭然だ。
去年オサムさんにデラニー&ボニー&フレンズ・ウィズ・エリック・クラプトンの「オン・ツアー」BOXセットの中身を頂いてブログで特集したが、今度は常連のイトーさんに和訳のライナーを頂いて(楽天で300円で手に入る?)ますます興奮、グラム・パーソンズストーンズの特集した後だけにグッド・タイミング!
掻い摘んでエピソードを、1970年「オリジナル・デラニー&ボニー」のレコーディング中、同スタジオでストーンズの「レット・イット・ブリード」をレコーディングしていた、当初ボニーに「ギミー・シェルター」のバック・コーラスを予定していたのだが声が出ない状態(?)だったのでメリー・クレイトンにバトン・タッチした。
テキーラとドラッグで26歳でこの世を去ったグラムはこの頃フライング・ブリトーブラザースをスタートしたばかり、ジョージ(ディランの周りにいた?)と知り合いデラニー&ボニーを聴かせる、そしてジョージが英国に持ち帰りクラプトンに聴かせる、そしてブラインド・フェイス(末期)のツアー中にデラニー&ボニーを雇う、クラプトンはデラニー達に夢中になり一緒にバンドを組む、ボニーがクラプトンのヴォーカルにぞっこんとなり歌う事を勧め、クラプトンの初ソロアルバムが誕生する。
その後は最近のブログの通りとんでもないロッカー達の組み合わせによるツアーと映画化、名盤続出となる訳だ。
ロックなおさらい
1969米
    シカゴ、BS&Tデヴュー
    CS&Nデヴュー→CSN&Y
    アトランタ・ポップ・フェス12万人動員グランド・ファンク・Rデヴュー      8月ウッドストック・フェス開催40万人動員
    トロントで「プラスティック・オノ・バンド」ライヴ
    オールマン・ブラザース・バンドデヴュー
    12月ストーンズのライヴでオルタモントの悲劇が起こる
    英
    キング・クリムゾン結成
    エルトン・ジョンデヴュー
    ザ・フーがロック・オペラ「トミー」発表
    ブラインド・フェイスデヴュー
    ストーンズのブライアン変死でミック・テイラー参加
    ワイト島フェスで20万人動員
    フェイセスデヴュー
    レッド・ツェッペリンデヴュー(いきなりベスト・セラー)
1970米
    エルヴィス・オン・ステージでエルヴィス人気再燃
    「マッド・ドッグス&イングリッシュ・メン」全米ツアー
    レオン・ラッセルがシェルター・レーベル設立
    ジェイムス・テイラーが人気でシンガー&ソングライター・ブーム
    10月ジャニス・ジョップリン死亡・「パール」は翌年年発表
    「アサイラム」レーベル発足
    英
    ジェネシスに注目集まる
    エリック・バードン&ウォー結成
    ブラック・サバスユーライア・ヒープがデヴュー
    ブラインド・フェイス解散デレク&ドミノス結成
    ビートルズ解散
    エマーソン・レイク&パーマー結成
    第3回ワイト島フェス開催ジミヘン最後のステージとなる(9月死亡)。
    ピンク・フロイドの「原子心母」大ヒット
    ビートルズそれぞれのソロ・アルバム発表
1971米
    キャロル・キングの「つづれ織り」大ヒット
    S&Gの「明日に架ける橋」グラミー4部門獲得
    ドアーズのジム・モリソン死亡
    フィルモア・ウエスト閉鎖イーストでのオールマン・B・バンドライヴ好評      イーグルス結成
    バングラデシュ・難民ン救済コンサート開催
    オールマン・ブラザースのデュアン・オールマン死亡
    英
    ローリング・ストーンズ・レーベル発足「スティッキー・フィンガーズ」発表     ポールのウイングス結成
    
    この年6月に千葉の稲毛にロック喫茶「「DONOVAN」誕生