ビリケン商会・三原社長


地下鉄表参道駅を降りて青学方面に歩いて行くと右にスーパー「紀伊国屋」があって70年代半ばにはまだ高嶺の花の輸入酒や食材がふんだんにあった!今の「フルハウス」になって間もない頃輸入ビールやウイスキーを良く買い込んだ、今の様に「ディスカウンター」が無く手に入りずらかったのだ、そこの信号を左に曲がると所謂「骨董通り」で高樹町インターまで続く、曲がってすぐ右側にあの「パイド パイパー ハウス」があってこことの付き合いは深かった、社長の岩永氏は店まで来てくれたし、ここのレコードを店で売ったりして、またイヴェントにも良く付き合った、その流れで「トムズ・キャビン」とも仲良くなった、そのはす向かいには最初の「ブルー・ノート東京」がありその先を右に曲がるとブリキのおもちゃ屋ビリケン商会」がある、社長の三原君は遂に「レココレ紳士録」に載った(後輩だがコレクションには負ける)ギター職人パンダが最初連れて来た、ソウルマニアだったのだが、最近は白人の歌うソウル所謂「スワンプ」に目覚めたと言い、話が弾んだものだった。サイン帳を手に外タレを追い回した時期もあったらしいが、何しろ凝り性でギターも150本、GSから歌謡ポップス、CMソングから番組主題歌までかなりの数集めたらしい、仕事でも鉄人28号のフィギアから昔の絵本のリメイク、最近ではギャラリーも併設しているとの事、じっとしてない人だが何しろシャイで喋る事が苦手(近しいものを感じる!)で「TVに出ればあいつには負けない位の凄さがあるのにねェ!」とパンダは言う!
骨董通りはその頃「水色のワーゲン」で良く走った、渋谷(ロック喫茶と輸入盤)から原宿(コープ・オリンピアで輸入酒と食材)六本木(輸入盤)有栖川公園(ナショナル・マーケットで輸入酒と食材)と仕事を元妻に任せて遊び過ぎ、遂には居なくなった!!