大野開拓団は緑の森工業団地

fulmas2009-06-06

昭和20年の終戦(敗戦)で東京から多数の人々が開拓農民として地方に入植した。親父は栃木生まれで麻布十番の本屋に奉公していたらしいが、覚叔父さんと共に土気の大木戸町(通称「大野」と言うが登記上の名は無い)に入植した。嶮しい山谷を開拓、持病の心臓弁膜症を抱えながら良くぞ頑張った!上←の写真の地下に生家は眠っている。現緑の森工業団地の開発で無残にも山と谷は真平にされたのだ!
昭和23年、生まれた時は囲炉裏とランプ生活、水は山の湧き水で地元生れの母が水汲み担当だ。トイレも外に簡単な作り、風呂もドラム缶を利用、その時の火傷痕がまだ残ってる!楽しいキャンプとは訳が違うのだ!子供の頃我が家には牛、羊、鶏等家畜が賑やかだった、親父が良く鶏をさばいて料理してくれた。広大な敷地(当時の農地法で地元の大地主から安く手に入れられた様だ)の中にけや木の大木が3本、次郎柿と富裕柿の大きな木、グミやイチジクの木もあり良く食べたなァ!親父は厳しくて優しかった!ご飯粒を残しては殴られ、ノートを破いては殴られ、「勿体無い!」を叩き込まれた(なのにいまだに無駄遣い癖は直らない!)酔うとしつこくなるので良く向かいの山に隠れたり、近所の家に逃げ込み、そこで風呂に入ったり、飯を食べたり、結構ちゃっかりしていた。
谷底の土手際の家は大雨が降ると玄関が水浸しになる、その度に親父と頑張って上に引っ越そうと慰めあった。
いつも親父には頭が上がらなかったが、ある日の夕暮れ親父が牛に逃げられ、途方にくれていた!変わりに俺が牛を追った、暗くなって来て月明かりの中、しかも田んぼの泥沼の中遂に捕まえた。誇らしげに牛を連れ帰り、それ以来親父はあまり怒らなくなった。  つづく