伯母逝きて 今宵は十五夜 無月かな 

fulmas2008-09-17

昨日は鹿沼の伯母さんのお葬式で店は休んだ。卆寿94歳であった。穏やかで真っ白な死顔は天使の様であった。私の父は男女5人づつの10人兄弟、5番目で3男である。亡くなられた伯母さんは次男の昌平さんの奥さんでアキさんという。正に中秋の名月に穏やかにお亡くなりになり「柿たわわ 山ふところの 製材所」を初め名歌と名画を残し、連れ合いの昌平さんの元に旅立った。昌平さんも3年前93歳で逝去されたが自費出版ではあるが立派な自分史を残されて、アキさん(秋の名で)が表紙を描いている。生前の二人の仲の良さは有名で、またお二人とも人に優しく慈愛に満ちた、理想の人生を全うしたと思われる。子供の頃夏休みにお世話になり、伯母様に大きな機械でカキ氷を作って貰った覚えがある。駄菓子屋を営んでいたのである。色白で京 マチ子似の美人さんで今でも瞼に焼き付いている!昌平さんは勤勉実直で優等生、郵便の仕事の後志願して海軍に入隊、少尉まで出世する。最後は戦艦「高雄」に乗り組みBー29を相手に孤軍奮闘するも「大和」「長門」を初め壊滅状態で終戦を迎え、命からがら帰郷した様だ!戦後はいろいろと商売の経験をしてサラリーマンにもなったが、兎に角人に優しくすこぶる評判の良い人で、身内以外でも和を重んじ、どんなグループのなかにいても穏やかに皆をまとめていた。2001年には高山家兄弟会に母と娘を連れて参加した。母も今年他界し今は3人の姿は見られないが、貴重なヴィデオを撮っておいたので今ダビングして親戚に配るところだ。父の生家の近くのお寺に高山家の先祖と長男隆由さん夫婦、次男昌平さん夫婦が仲良く眠っている。(鹿沼の楡木というところはお葬式の日に納骨してしまうのですネ)ご住職が「散る桜 残る桜も 散る桜」 そして人はカネや物をを残すのでは無く「人を残せ」と説いていた。さて自分に何が残せるか??