名盤(名曲、名演奏)作りの名人#6 レオン ラッセル

fulmas2008-01-18

60年代半ば過ぎに最初にスワンプ(ロック)と呼ばれトニー ジョー ホワイトとボビー ジェントリーが持て囃された、白人による黒人ブルース特にミシシッピデルタの湿地帯からイメージされてそう呼ばれた。更にロックンロール、R&B、カントリー、ゴスペル等を取り入れてCCRやザ・バンドを始めとした白人の若者達が出てきた。60年代後半から70年代半ば迄大活躍した男がいるロスアンジェルス スワンプの立役者その名はレオン ラッセル!「スーパースター」(カーペンターズで有名)や「マスカレード」等の名曲を作ったが、最初のヒット曲は「デルタレディー。タルサ生まれのレオンは14歳でトランペットを吹くようになり最初のバンドを組みナイトクラブで初ライヴをやる。その後ジェリー リー ルイスヤロニー ホーキンスのバックでピアノを担当、17歳でロスアンジェルスに出てジャンとディーン(サーフ シティー)、ビーチボーイズ(カリフォルニア ガールズ)等のバックでキーボードを演奏、スタジオミュージシャンとして活躍(フィル スペクターの大半の曲に参加している)、更にアレンジャーとしても活躍アイク&ティナ ターナー、バーズ(Mrタンブリンマン)ゲイリー ルイスとプレイボーイズ(恋のダイアモンドリング、因みに作曲はアル クーパー、彼らの第2弾ヒットの「あの娘のスタイル」はレオン作曲)ハーブ アルパート(蜜の味)等を手掛けた。レオンの他にグレン キャンベル、ハル ブレイン等腕利きのスタジオ ミュージシャンが集まってレッキング クルーと名乗りディラン、シナトラ、ストーンズベンチャーズ、等のレコーディングに参加している。1967年ギタリストのマーク ベノとアサイラム クワイアを結成リタ クーリッジもヴォーカルで参加していた。その後デラニー&ボニーのツアーに同行クラプトンやジョージと共演する事になる。1970年に入ると「ジョー コッカー&マッド ドッグス イングリッシュメン」や「バングラデシュ コンサート」は劇場公開され世界中に響き渡った、中でもレオンの存在は大きくカリスマ性と名演奏はいまだに語り継がれている。またこの頃英国人デニー コーデルとシェルター レーベルを設立数々の名盤(スワンプの宝庫)を残した、中でも同じタルサ生まれのJ・J ケイルはクラプトンを始め多くのミュージシャンに影響を与えた。レオンはソロアルバムを何枚か出した後(1975年マリーと結婚、2枚のアルバムを出している)ウイリー ネルソン、ニューグラス リバイバル、等と共演1990年にはエドガー ウインターとも共演している。日本にも何度か来ているが2〜3年前に来日した時は幾分元気が無さそうだった。アル クーパーの様に元気な新譜でも出してくれないかなァ!