DONOVAN エピソードいろいろ

fulmas2007-09-10

1971年ドノヴァン開店当時はまだイデオロギーが生きてる時代、客の学生には中核だの革マルだの各種左派がいて、逆に右翼のツェッペリンファンもいた!三里塚幻夜祭」に客を引き連れて行ったり、翌72年に起きた「浅間山荘事件」は地下までアンテナ線を引き込んで皆でTV中継みたりして興奮した!俺も客もロングヘアー、右翼の団体が(大家の息子か?)なだれ込んできて政治論争となり、一触即発!当時はヤクザも稲毛には居て、「こらジュークボックス置かんかい!」(関西か?)なんて脅かされたり!だから地下は嫌だったんだ!!1973年には「石油ショック」もありTVの取材を受けたりした!1971年最初のライヴはブルース ボーイ「とみた いちろう」や「龍とかおる」、龍は後にエレックからレコード発売、かおるはなんとあの「ラヴ イズ オーバー」で作曲家の大先生になってしまった! 1972年にロック誌「ロッキン オン」が創刊、(うちはM.マガジン派で1969年から現在に至るまで全て揃っている。)ロック喫茶で売り始めたが売れず、逆に本屋でバカ売れ!今に至っている。うちには3号くらいまで置いてあげた。1971年シカゴ来日以降立て続けに大型ロックバンドがやって来た、BS&T、ツェッペリン等カズオくんがチケット買いに走ってくれて(?)みんなで観に行った!1971年といえばまだ反体制(ドロップ アウト)を引きずっていて、仕事しない、学校へ行かない奴とかいて、また女子学生が家を離れて一人暮らしとか、流行の「同棲時代」でもありましたかネ!そんな連中がまだPCもケイタイも無い時代集まってコーヒー飲みながらロックを聴き、本を読んだり、論争したり」してたんですネ!(アウトドアよりインドアの時代でしたかネ?!)