親父の形見に一冊の日記と一通の手紙がある。日記は17〜8の頃麻布十番の本屋で仕事をしていた時のもの、手紙は私が電電公社の山梨の学園で寮生活をしていた時のものだ。 一九三六年・三月・廿七日(金)晴れ 昨日と打って変わって暖かい小春日和、街のペ…
昭和43年9000坪の谷底にあった高山家も成人に達した自分とあの世へ逝ったばかりの親父の思い出と共に花畑の地下に眠った!
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