カントリー・ロックの確立者G.P

fulmas2011-02-06

日曜日の朝たまにインター・FMの「レイジー・サンデー」を聴いている、DJはサーファーで音楽プロデューサーのジョージ君、母が日本人で父がアメリカ人、鎌倉生まれでアメリカ育ち、かなりイケテル人の様だ、音楽に対する愛情がとても感じられるちょっとケンタ君に似た音楽の好み(?)少しミーハーさが入った自分とピッタリの選曲で気に入っている。
でこの間グラム・パースンズを取り上げていて、ブログに書こうと考えていた時だったのでとても参考になった、ハート・ブレイクな男グラムのカントリーは泣いている!そうなんです、大体カントリーは陽気で明るいイメージがあるんだけどグラムはちょっと翳りのある泣き節が魅力なんです、今のアメリカの若者の主流のオルタナ・カントリーはG.P(グラム)を教祖的存在としているのです。もちろんエルヴィスはグラムの憬れだったのでしょうが(?)
60年代後半は反体制の時代で体制的なカントリー・ミュージックはあまり若者には受けませんでしたが70年代に入るとグラムがインターナショナル・サブマリン・バンド〜ザ・バーズ〜フライング・バリット・ブラザースとカントリー・ロックを確立して行きました、この頃インタヴューを受けて「英国はカントリーの未開の地だから普及させたい」(フェアポート・コンベンションやニック・ロウなんかは敏感に感じ取ってやっていた)とか「デラニー&ボニーの様にカントリー・ミュージックを表現したい」とか言っていた、ディランやストーンズ(映画ギミー・シェルターに出演している)もカントリーを歌い出し、ミックは「俺はカントリー大好きなんだ」と言った時期もあった、
ソロアルバムを2〜3枚出して70年代半ばに若くしてこの世を去ってしまい、イーグルスが「マイ・マン」と言う曲を彼に捧げている、アルバム「GP」でデュエットしたエミルー・ハリスはその後デヴューしていまだに大活躍している、やはり彼女もロックを背負った翳りのあるカントリー・シンガーで、しっかりグラムの意志を継いでいる様に思える、
最近バーズの「ロデオの恋人」やインターナショナル・・・等リマスター盤が出て来ていて喜ばしい事である。
それからジョージ君が言うには昔カントリー・ロックとかサザン・ロックとか言ってたジャンルはいま押し並べて単純にカントリーと呼んでいるそうである。
あと面白かったのはあのマイケル・マーフィーはアメリカではカントリーの大御所(ボランティア活動もかなりやってる様だが)と呼ばれているが、マイク・ネスミスがもしモンキーズに入らなかったら彼もかなりの大御所になれただろう(?)と言う事だ。