テレキャスマスター・スティーヴ・クロッパー健在なり!

fulmas2011-08-17

三大テレキャスマスターといえばロイ・ブキャナン、ジェイムス・バートンそしてこのスティーヴ・クロッパーだろう!(ギターだけでなくソングライター、プロデューサーとしても有能!)9歳でメンフィスに家族で移住、10歳で始めてエレキギターに触り、14歳で手に入れる、その後ロイヤル・スペーズ結成、更に名前をマーキーズに変更、メンバーには他にドン・ニックス、D.ダック・ダン、ウェイン・ジャクソンがいた、1958年頃ジム・ステュアートが設立したスタックス・レーベルの専属バック・バンドになる{元々はカントリーを目指していたレーベルだったが、黒人居住区(家賃が安いという理由だった!)の為とソウルの時代に突入した為、特にオーティス・レディングが才能を開花するといつの間にかソウル・レーベルになった}その後ウェインはメンフィス・ホーンズに、スティーヴはブッカーT&MGズに1962年参加、MGズは1960年代を通してスタックスの数多くのレコーディングに関わる、オーティス・レディング(「ドック・オブ・ザ・ベイ」「ハッピー・ソング」はクロッパー作)、アルバート・キング、エディ・フロイド「ノック・オン・ウッド」はクロッパー作)、ウイルソン・ピケット(「ミッド・ナイト・アワー」はクロッパー作)等だ、69年にはスティーヴ初のソロアルバム「ウイズ・ア・リトル・ヘルプ・ヘルプ・マイ・フレンド」を発表している。しかしスタックスの看板スターのオーティスが死に、主要スタッフが離脱、スティーヴは自らのプロダクション「Trans・Maximus」を設立,様々なアーティストのアルバム制作に関わる、ジェフ・ベックリンゴ・スタータワー・オブ・パワージョン・レノン等だ!
1975年スティーヴは活動拠点をメンフィスからLAに移す、MGズのドラムス・アル・ジャクソンが死にMGズは解散、1977年ザ・バンド解散後のリヴォン・ヘルム&RCOオールスターズの一員としてダック・ダンやP.バター・フィールド等と来日している、78年にはブルース・ブラザース・バンドに参加、出演した映画も大ヒットした、91年に活動拠点をナッシュビルに移す、92年ダック・ダンやブッカーTと共に忌野清志郎のアルバム「Memphis」に参加キヨシロウの武道館ライヴにも参加している。
ソロアルバムは何枚か発表しているが、近年あのラスカルズのフェリックス・キャバリエと2枚のアルバムを発表し健在ぶりを示したが、先月スワンプ仲間と素晴らしいアルバムを発表した、「Dedicated」と題するアルバム、クロッパーが高校の時ダック・ダンに教えて貰ったファイヴ・ロイヤルズのカバー集だ、バックは数少ないマッスル・ショールズの生き残りデビッド・フッドのベース、スプナー・オールダムのキーボード等だが、4曲目の「デディケイテッド・トゥー・ザ・ワン」のルチンダ・ウイリアムスとダン・ペンのヴォーカルは渋い、シビレル!12曲目の「サムワン・メイド・ユー・フォー・ミー」のダン・ペンのヴォーカルも泣けるが、7曲目の「ヘルプ・ミー・サムバディ」スティーヴ入魂のギター・ソロは最も聴きどころ、泣ける、痺れる、仰け反る!!!BB・キングもイイヨ!他にもスティーヴ・ウインウッド、バディ・ミラー、デルバート・マクリントン(懐かしい〜!)等がゲストにいる。