震災復興と戦後復興!

fulmas2011-04-25

今回の震災で東北の紙工場の被害は7社の倒産、間接型倒産は35社に及ぶ!煙草の品切れもそのせい?
車等の部品工場もかなりの打撃、ある部品販売業者が戻って見て、あまりの酷さに「こりゃ戦場だ!」と嘆く、でもメーカーが「金は後でいいからまた頼むよ!」の声に「やる気になった」と話す、原発の復旧作業は相変わらず進んでないが、岩手の山田町の様に瓦礫の中テント村商店街とか、廃材をチップにしてボードを作るとか、少しづつ前に進んでいる、また今日仙台ー東京間の新幹線が再開した!
イイネ! ニューオリンズにハリケーンカトリーナが襲来した時、日本のルイ・アームストロング協会が支援したのをきっかけに、今度は被災地にニューオリンズのライヴ・ハウスからたくさんのホーンが送られて来た!で高校生のブラバンがコンサートを行った模様!

最近自分の中で戦後復興がまた甦る!現在の実家のある場所はみどりの森工業団地内だが、元は山あり谷ありバス停から30分から1時間の正に僻地だった!そこに東京大空襲から逃れた人々が開拓農民として入植、親父とKAKU叔父さんもその仲間だった、東京には日暮里の叔母さんと小岩の伯母さんがいて、夏休みや冬休みになると良く遊びに出掛け暫くお世話になり、良く下町等で遊んだ、そんな中に市場の自動三輪車や町工場の景色がうっすらと記憶に残っている、復興の意味は解らなかったが妙に活気づいている雰囲気は覚えている、開拓農民たちも半分は東京に戻り、KAKU叔父さんも農地解放で手に入れた土地を処分して東京で炭屋を始めた、ところが相場に手を出して破産!美人妻おツルさん(子供の頃初めて映画に連れて行って貰ったり、一緒に風呂に入ったりしたのを覚えている!)と離婚、二人の子をハイヤーの運転手をしながら育てた、息子(一つ下の従弟)は現在弁護士になったが病に倒れ、今は孫が弁護士事務所を継いでいる。
終戦昭和天皇は全国行脚に出かけ人々の労をねぎらった!今平成天皇は被災地に出かけ声をかけて被災者を励ます!それに反応する健気な東北人、それに引き換えカンさんはダメオ君だった!待ちわびた人の前を通り過ぎ、「もう帰っちゃうんですか?」と叱られ、また戻ってお詫び、オロオロ姿が痛ましかった、この非常時には向いてないリーダーなのか?
ヤダネ! 原発20Km県内の家畜が殺処分のニュースは痛い!痩せ細って死んで行く牛、薬で安楽死!昔親父と牛を飼った事があって、あの臭いには閉口したけど、つぶらな瞳を見たら何とも言えず可愛かった!心が痛い!

前に「ザ・親父」に書いたが、農民時代の親父は病と戦い、自然と戦い52歳という若さで死を遂げたが、若い頃はモダンで写真を見ても結構イケてる、葬式の時見知らぬ叔父さんに「お前の親父さんとは良くカフェに通ったもんだ」と笑いながら話かけられたのを思い出す!
生まれた時に電気も水道もガスも無く、ただ太陽が眩しく星や月が綺麗!前だけ向いて来た俺達団塊の世代は本当に幸せだった!
何でも有りの贅沢な時代、この震災は人はいかに生きるべきか?(親父の口癖だった!)を根本から考えるチャンスを与えてくれたのではないか?
頑張ろうニッポン!