紐育の華フィービ・スノウ逝く!

fulmas2011-04-29

今月26日愛すべきフィービが天国に召された!60歳の若さであった、ニューヨークに生まれた彼女は母がユダヤ人(ウッディー・ガスリーのコーラスをやっていた)父が黒人という歌手としては恵まれた環境だったのかも知れない?クール・ヘッドとソウル・パワー!15歳でビリー・ホリデーやベッシー・スミス、そしてブルースに目覚めた、その頃からギターを習い始めフォーク・クラブに出演する様になる、そしてあのスワンプの名門「シェルター・レコード」からお声がかかりデヴュー盤「サンフランシスコ・ベイ・ブルース」発売となる、1974〜5年はウエスト・コースト・のカントリー・ロックや南部のスワンプ・ロックやサザン・ロックに翳りが見え始め、都会派の所謂AORが目立ち始めた頃だ、まだタワー・レコードやシスコ等大型輸入レコード店が無い頃、原宿の「メロディ・ハウス」や吉祥寺の「芽瑠璃堂」に輸入新譜を買いに行っていた時,芽瑠璃の後藤君が「凄いレコードが入りましたヨ、今久保田真琴さんが買って行きました」と勧めてくれたのが「PHOEBE・SNOW」(邦題「サンフランシスコ・ベイ・ブルース」)だった、今迄に無い都会的でありながらブルース感ありジャズ風味(ズート・シムスの何とも言えない囁く様なSAXにやられた!)あり、さすが名プロデューサー・フィル・ラモーンだわ!(フィルのプロデュースで4枚ほど立て続けにアルバム発表)
「ポエトリー・マン」のヒットで一躍スターダムにのし上がるが、ボーイ・フレンドの自殺、レコード会社とのトラブル、娘の身体的障害と不運もあり、いつの間にか世間から忘れられた存在に、しかし彼女の歌声は永遠に我々の心に残り、気が付くと夜のしじまの中、店のターン・テイブルに乗っているのだ!
MYDOの客Jは1971年開店の頃高校生で、良くベッシー・スミスをリクエストした、京都の大学時代に良く聴いたという「サンフランシスコ・ベイ・ブルース」は彼が店を出る前に最後のリクエストというのがいつの間にか定番になり、早めにかけると「帰れという事なの?」と叱られる(笑)、彼は猫好きでマイケル、シンディ、ティナと名前をつけたがマイケル、シンディ亡き後フィービ、最近ではミックとマリアがいるらしい?
現在大阪には「PHOEBE」というロック・バーがあるらしい?
ご冥福をお祈り致します!!